AIが進化しても残る「旅行計画の人間らしさ」とは
すべてが自動化される未来で、人間は何を楽しむのか? AI旅行プランナーを開発する中で見えてきた、「計画する」という行為に隠された人間らしさと、Tabideaが目指す立ち位置についてのエッセイです。
こんにちは、Tabidea(タビデア)開発者の Tomokichi です。
毎日AIのプロンプトと睨み合い、どうすれば「より正確で、より効率的な旅行プラン」を自動生成できるかばかりを考えています。 しかし、そんな開発のど真ん中にいるからこそ、ふと立ち止まって考えることがあります。
もし、AIが1秒であなたにとって100%完璧な旅行プランを叩き出せるようになったら、旅行計画という行為は完全に消滅するのだろうか?
今回は、少しエモーショナルな視点から「旅行計画における人間らしさ」について書きたいと思います。
「迷う時間」もまた、旅行の一部である
旅行の楽しさは、家を出発した瞬間に始まるわけではありません。
「京都に行くか、金沢に行くか」と悩んでいる時。 「このホテル、少し高いけど露天風呂が最高だな……」と予約ボタンを押すのをためらっている時。 「ランチは絶対ここで食べたいから、午後のスケジュールを少し削ろう」と友人と相談している時。
こうした迷い、選び、決断するプロセスそのものが、すでに旅行というエンターテイメントの一部です。 もしAIが「あなたの嗜好を完全に理解しました。宿も新幹線も手配済みです。明日の朝10時に東京駅に行ってください」と完璧な手配をしてくれたとしても、そこには「自分が旅を作った」という愛着(オーナーシップ)が生まれません。
AIが奪っていいのは「作業」だけ
では、AI旅行プランナーの存在意義とは何でしょうか。 私は、旅行計画には「楽しい意思決定」と「苦痛な作業」の2種類が混在していると考えています。
- 楽しい意思決定:「どこに行きたいか」「何を優先するか」を選ぶこと。
- 苦痛な作業:「AからBへの移動時間を調べる」「定休日を調べる」「予算内に収まるか計算する」こと。
AIが奪うべきなのは、後者の「苦痛な作業(ロジスティクス)」だけです。 Tabideaが目指しているのは、旅行計画を「ゼロ秒」にすることではありません。楽しい意思決定だけに集中できる、最高のキャンバスを用意することです。
Tabideaは「パレットと絵の具」でありたい
AIが出してきたプランに対して、「ここはちょっと違うな」とユーザーが自分の手で修正を加える。 その時、移動時間や経路の再計算はAIが瞬時に裏側でやってくれるので、ユーザーは一切のストレスを感じません。
まるで、AIが完璧な下書き(スケッチ)を描き、ユーザーが自分の好きな色で色を塗っていくような体験。 これが、Tabideaが考える「AI時代の旅行計画の理想形」です。
技術がどれだけ進化しても、**自分が選んだ旅だという実感(人間らしさ)**は絶対に奪ってはいけない。 その哲学を胸に刻みながら、明日からもまた泥臭いコードを書き続けていこうと思います。